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九谷焼の査定・買取 気になるポイント!

2025.11.10

この記事を書いた人

銀座蔵や スタッフ

青木 優
YU AOKI

査定経験:約10年
得意ジャンル:ブランド品など全ジャンル
趣味:骨董品収集・古物相場の動向リサーチ

ブランド品の鑑定を得意としながらも、骨董品収集という趣味を通じて培った幅広い知識と、古物市場の動向を常にリサーチする探究心で、ジャンルに縛られない多様な品物の価値を正確に見極めます。

ブランド品の鑑定を得意としながらも、骨董品収集という趣味を通じて培った幅広い知識と、古物市場の動向を常にリサーチする探究心で、ジャンルに縛られない多様な品物の価値を正確に見極めます。

石川県の伝統工芸品「九谷焼」は、江戸時代から大切に受け継がれてきた器です。

高給な「九谷焼」の場合、日常ではあまり使わず、特別な日にだけ手に取ることが多いため、ご家庭に思わぬ九谷焼の器が眠っていることも。

親の遺品整理や引っ越しなどで整理したいときは、「九谷焼」の買取サービスを是非ご利用いただけます。

実際にどのような九谷焼が買い取られてきたのか、その実例もご紹介します。

九谷焼とは

江戸時代初期から令和までの九谷焼の歴史をまとめました。

歴史

九谷焼は江戸時代初期、加賀藩(石川県)で誕生した日本の伝統陶磁器です。
当時の九谷という地名が名前の元となっています。現在の産地は主に石川県南部に当たる加賀市、小松市、能美市、金沢市など。鮮やかな五彩(赤・青・緑・黄・紫)の絵付けが特徴です。

江戸時代の初期作品は古九谷(こくたに)と呼ばれ個人名より窒元や流派単位で制作されていました。
大胆な色彩と自由な絵柄は、当時の豪商や武士階級に愛され、江戸後期には金彩や加飾技術が発展し、華やかな装飾品としての評価を確立しました。

現在の九谷焼

明治に入ると個人作家による政策が増え器には署名ら落款が入るようになりました。
昭和以降には現代作家による九谷焼が登場し伝統技法を守りながら現代的なデザインを取り入れた作品がつくられました。

現在でも日常使いの食器や電子レンジ、食洗器対応の器、美術品まで幅広い九谷焼が作られています。

未来の陶芸作家

現在では、九谷焼作家になるには学校で学ぶ方法と弟子入りの2つのパターンがあります。

石川県内には、九谷焼の作家を育成するための県立高校の陶芸家コースや、専門学校などがあります。卒業後は石川県内の工房に修行に入るケースが多いようです。

九谷焼の参考買取価格

時代や作家、保存状態などによって価値が大きく変動するため、一般的に「九谷焼」の明確な相場は存在しません。
しかし、石川県に本社を構える「銀座蔵や」では、創業以来10年以上にわたり、多くの九谷焼作品の査定を行ってまいりました。
その経験を通して、九谷焼の特徴や価値を的確に見極め、適正な価格で評価できる体制を整えております。

ここでは、「銀座蔵や」がこれまでに実際に買い取らせていただいた九谷焼作品の例と、その際の買取価格について、詳細にまとめてご紹介いたします。
作品の作家や年代、保存状態によって価格は大きく異なりますが、これらの実例は、九谷焼の市場での一般的な価値感を理解する一助となるでしょう。

また、査定のポイントや評価基準についても併せて解説することで、作品を手放す際の参考情報としてご活用いただけます。

買取履歴

5~10件

鑑定方法

石川県金沢市に本社を置く「銀座蔵や」では年間50,000点もの焼き物の買取査定を行い市場や社内研修などで継続的に勉強会を行うなど「九谷焼」に関しても10年以上のノウハウがあります。

「九谷焼」は以下のポイントで査定を行っております。

1.銘・窯印・題箋
2.画風・釉調
3.時代判断要素
4. 付属品
5. 作家・産地証憑
6. 保存状態
7. 市場実勢

1.銘・窯印・題箋

【銘(めい)】:作品の名前やタイトルのこと
      器の底や側面、共箱に書かれることが多いです。

【窯印(ちついん)】:窯元のこと
         例):九谷光仙窯(くたに こうせんがま)、九谷青窯(くたに せいよう)、九谷陶芸(くたに とうげい)、加賀九谷窯(かがくたにがま)、丸八製陶所(まるはちせいとうしょ)
 

【題箋】:作品の名前や作者情報を書いた短冊や札のこと
     共箱や蓋に貼られている

2.画風・釉調(がふう・ゆうちょう)

【画風】:作家や窯元ごとの絵付けの特徴や作風のこと
五彩(赤・青・緑・黄・紫)の絵付け

【釉調(ゆうちょう)】:陶器の表面の釉薬のかかり具合や質感、色合いのこと

3.時代判断要素

胎土(たいど)・釉調・釉肌の経年変化

土や、釉調の編年変化。

4.共箱などの付属品

共箱:器を入れる木箱
栞(しおり):作品の簡単な説明や作者紹介が書かれた紙

5.作家・産地証憑

作家会のラベル・展覧会図録掲載・購入伝票等の来歴資料のこと

6.保存状態

剥落、擦れ、金彩荒れ、ニュウ、カケを確認します。

剥落(はくらく):釉薬や装飾が剥がれ落ちること

擦れ:器の表面がこすれて模様や釉薬が薄くなること

金彩荒れ:金彩の塗装が剥げたり、ムラになっている状態

ニュウ(貫入):ヒビ

カケ(欠け):欠ける

市場実勢

近年の公売・店頭実例(公開済の一次資料)を確認します。

口コミ

実際に「銀座蔵や」に九谷焼の買取をご依頼されたお客さまの口コミをご紹介します。

九谷焼を沢山買取してもらいました。また利用したい
石川県金沢在住・60代女性

実家整理で九谷焼の豆皿多数と三代目徳田八十吉の花瓶を買取してもらいました。知識がない私にも、鑑定士の方が一点一点丁寧に説明してくださり、その価値に驚きました。予想をはるかに超える金額で大満足。大切な品をきちんと評価してもらえ、感謝しています。

とある査定士の思いで

あるお客様が九谷焼の茶器を持ち込まれました。
「祖母が毎日これでお茶を淹れてくれていたんです」と目を細めながら語られ、茶器のふちに小さな欠けがあることも「おばあちゃんがよく使っていた証」と愛おしそうに触れていました。
査定を終えてお伝えしたとき、お客様は「大切にしてくださる方につながるなら嬉しいです」と安心されたご様子。
品物を通して、ご家族の思い出まで大切に受け取ることができた瞬間でした。

「銀座蔵や」では、「九谷焼」の鑑定依頼が一番多い石川県金沢市に本社の店舗を置き開業から10年以上「九谷焼」の多くの査定を行ってきました。

「九谷焼き」を査定依頼いただくお客さまにおおいのが、近くのリサイクルショップと焼き物を含む買取専門業者では何が違うの?ということです。

「銀座蔵や」では、ジャンル特化ゆえ専門資料・作家ネットワーク・販路(専門オークション・顧客層)を持っているのが特徴で、知識のないお客さまにもどこがどのくらい評価されるのかを一点一点ご説明しご納得の上買取させていただいております。

作家一覧

「九谷焼」の江戸時代初期から令和までの作家一覧をご紹介します。

本多貞吉

1771〜1827年

本多貞吉は、肥前島原出身の陶工で、加賀で再興九谷の基盤を築いた先駆者です。
若杉窯や春日山窯で製陶技術を研鑽し、弟子の粟生屋源右衛門らに赤絵や上絵付の技法を伝授しました。
花坂陶石の発見や青手古九谷の絵具研究により、加賀の九谷焼の生産体制と様式の発展に大きく貢献し、国内外に高く評価されました。

参照:九谷焼解説ボランティアHP

小松市に本多貞吉の慰霊碑があります。

粟生屋源右衛門(あおやげんえもん)

1789~1858年

粟生屋源右衛門は小松出身で父の楽焼技術を学び、本多貞吉門下で若杉窯の主工として活躍。
青手古九谷の再興に尽力し、吉田屋窯では「青九谷」を完成させました。
門下から九谷庄三ら多くの名工を輩出し、晩年は「粟生屋焼」と呼ばれる独自の楽陶作品も制作。
九谷焼の技術と意匠の発展に大きく貢献し、その影響は今日まで残っています。

参照:九谷焼解説ボランティアHP

九谷庄三(くたにしょうざ)

1816~1883年

九谷庄三は、江戸後期から明治期に活躍した加賀九谷の陶工。
若くして九谷焼の諸窯で修業し、赤絵細描や彩色技法を習得。
1841年に寺井村で着画専業の工房を開き、多くの門人を抱えながら「庄三風」と呼ばれる精緻な上絵付を確立。
江戸末期から明治初期にかけて国内外で高く評価され、明治九谷の中心的存在として九谷焼の発展と産業基盤構築に大きく貢献した。

参照:九谷焼解説ボランティアHP

能美市の、奥野八幡神社境内に九谷庄三氏の記念碑があります。

松屋 菊三郎

1820~1889年

松屋菊三郎は源右衛門に師事し、古九谷や青手古九谷の技法を習得。
蓮代寺窯では白磁に五彩絵付の独自技法を完成させ、絵の具の剥落や貫入を防ぐ厚盛りの絵付を実現。
松山窯では写実的な山水画を取り入れ、青手古九谷の様式を発展させ、九谷焼の中心的伝統を確立。
明治期には技法を後世に伝え、九谷焼の評価向上と系譜の形成に大きく貢献した。

参照:九谷焼解説ボランティアHP

松本佐平

1851~1918年

松本佐平は、小松市八日市町の呉服商松屋生まれ。
父は松屋菊三郎で、粟生屋源右衛門の門人。幼少期から父に陶技を学び、明治元年(1868)に陶画家として独立しました。
明治9年(1876)には金沢の画家徳田寛所を招き絵画修業に励み、明治11年(1878)に「松雲」の号を授かり、家号を「松雲堂」として高台銘を入れるようになりました。

徳田八十吉

徳田八十吉は、石川県で代々続く九谷焼の名家で、現在は四代目が継いでいます。

初代(1873〜1956)は松屋佐平の義弟として生まれ、古九谷吉田屋の作風再現に取り組み、独自の彩釉「深厚釉」を発明。弟子や養子を育て、1953年に人間国宝に認定されました。

二代目(1907〜1997)は養子として継ぎ、富本憲吉に師事して近代九谷焼を発展させ、海外でも高く評価されました。

三代目(1933〜2009)は父の技術を継承し、四彩を組み合わせた「耀彩」を創出、人間国宝に認定。

四代目(1961〜)は三代目の長女として2010年に襲名し、現在も伝統を守りつつ現代的な九谷焼を制作しています。

参照:徳田八十吉公式サイト

よくある質問

「九谷焼」の買取査定にさいし、よくある質問をまとめました。

使用していた九谷焼でも査定可能ですか

九谷焼は、日常的に使われていた食器や花瓶でも、伝統工芸品としての価値があります。
特に作家物や古い時代の作品は、多少の使用感があっても評価されるケースが多いです。
仮に使い込んだ食器であっても高い評価になることがあります。

ちょっと欠けているのですが

ヒビや欠け、修復跡がある場合は査定額が下がる可能性があります。
一方で、希少な絵柄や有名作家の作品であれば、状態にかかわらず買い取ってもらえるケースも少なくありません。

箱などの備品はなくしてしまいました

器を収めるための木箱を共箱と言い、共箱がなくても査定対象となります。
特に有名作家の作品や、古い時代のものは共箱がなくても高値がつくケースがあります。

ただし、共箱には作家の署名や落款(らっかん:印のこと)、窯元の印などが記されている場合が多く、本物かを証明する役割を果たすため、箱がある方が査定額は上がりやすいのも事実です。

もし共箱を紛失してしまった場合でも、保存状態が良い・シリーズで揃っている・人気の作家作品であれば、十分に高評価となります。

高価な九谷焼ではなく日常で使う安価なモノも買い取ってもらえますか

日常使いの九谷焼の買取も行っています。
実際お客様のお用いただく焼き物の2~3割は高価なものではなく日常使いの食器となっています。
高価かもしれないしそうではないかもしれない九谷焼も安心して査定をご依頼ください。

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